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動物病院では、しばしばウサギに麻酔をかけないといけないことがあります。
そんな時、ウサギに麻酔をかける上で困るのが、ウサギにはアトロピンという薬が効かないということです。
アトロピンは、心拍数の低下を防ぐために、麻酔の前投与薬としてよく用いられます。
また、麻酔中に心拍数が低下してきたりすると、その対処としてアトロピンを注射します。
アトロピンを注射することにより心拍数は上昇し、徐脈を防ぐことが出来ます。
ところが、ウサギには徐脈の特効薬であるアトロピンが効きません。
正確に言うと、静脈注射でうてば、ごく短時間だけ作用はするのですが、すぐに効かなくなってしまいます。
その原因は、ウサギという動物が、体の中に「アトロピナーゼ」というアトロピンを分解するための酵素を持っているからです。
このアトロピナーゼのせいで、ウサギにはアトロピンを注射しても、あっという間にアトロピンが分解されてしまい、効果がなくなってしまうのです。
では、なぜウサギはわざわざそんな酵素を体の中に持っているのでしょうか?
もしかして、獣医さんに麻酔をかけられたときに、獣医さんがアトロピンを使えなくて困るように、嫌がらせとして持っているのでしょうか?
そうではありません。
別に、ウサギは獣医さんへの嫌がらせのためにアトロピンが効かない体質になっているわけではありません。
アトロピンを分解するということは、ウサギにとっては、環境中で役に立っている性質であり、それはながい進化の歴史の中で獲得してきた、れっきとした生存のための能力です。
アトロピンを分解するための酵素を持つということは、それだけ種にとってコストのかかることです。
それを作り出すためには、そのしくみを維持し、エネルギーを割り振らなければいけません。
ということは、ウサギにとって、それだけのコストをかけたとしても、生存のためにはその酵素を持っていた方が有利であるということの証明でもあります。
ウサギがアトロピンを分解する体質である理由は、ひと言で説明することが出来ます。
それは、アトロピンが命に関わる劇物であるからです。
そう聞くと、
「医療に幅広く用いられているアトロピンが劇物?」
と驚く人もいるかもしれません。
でも、アトロピンは実際に、立派な劇物です。
副交感神経の働きを抑制する効果を持っていて、中毒時には頻脈・心悸亢進、幻覚や昏睡を起こします。
過量摂取時には死ぬこともあり、致死量は成人で約100mgです(ちなみに、一般に注射に用いられる液は0.54mg/mlの濃度の極めて薄い濃度です)。
アトロピンは、ナス科の植物の植物に多く含まれるアルカロイドの一種であり、アルカロイドというのは、動物の神経や内臓などに働いて様々な作用を及ぼす植物毒のことです。
つまり、アトロピンというのは、植物が作り出している“毒”そのものなのです。
植物の作るアルカロイドには様々なものがあり、アコニチン、アトロピン、エフェドリン、カフェイン、キニーネ、クラーレ、コカイン、コルヒチン、スコポラミン、ストリキニーネ、ドーパミン、ニコチン、ベルベリン、モルヒネ、etc・・、と数多く存在します。
その中には、医療に携わる人ならしょっちゅう目にする薬剤から、一般にもよく知られているものまであります。
逆に言えば、人は、植物の中に、そういう人間の体に働きかける成分があるのを知った上で、その成分を、自分達の役に立つ目的のために、役に立つ容量に薄めて用いているということです。
用いているのがもともと植物毒である以上、いずれも過量投与は命取りになります。
アルカロイドはまさに、毒にも薬にもなる物質なのです。
それはさておき、植物がアルカロイドを作る目的は、それが動物にとって“毒”となるというところにはっきりと現れています。
つまり、植物は、動物に自分達を食べさせないようにするために、アルカロイドを作り、体にため込んでいるのです。
植物はよく太陽の光を有機物に変える“生産者”などと称されています。
実際、動物が得るエネルギーはすべて、植物がつくりだしたものです。
動物の側からすれば、植物というのは、栄養分をもたらしてくれるありがたい存在です。
でも、植物からすると、動物というのは、利用できる面はあるにしても、そんなこととは比べものにならないくらいの“敵”でもあります。
肥料になる糞を落としたり、種子を遠くまで運んでくれるといっても、自分自身が食べられてしまえば、元も子もありません。
食べられるということは、種の生存にとってはなるべく避けたい、大きなリスクです。
しかも、弱肉強食の食物連鎖の中では、動物にとって食べやすい植物から食べられてしまいます。
そのために、植物は、体を硬くしたり、葉を高いところに付けたり、毒物を体に持ったりと、それぞれの防衛策を取ることになります。
植物がアルカロイドを体に持つのも、そのひとつです。
毒を体に持っているのは植物の意志によるものなどではなく、動物からの補食圧による「適者生存」の法則によるものです。
毒を持ちたいと思って持ったのではなく、持っていないと食べられてしまい、絶滅してしまうからこそ、持たざるを得なかったのです。
ただ、話はそれで終わりません。
アルカロイドを持てば、動物に食べられなくなって安泰のような気もしますが、それにより、今度は動物の側に「それを食べられなくなれば死んでしまう」という圧力が働くようになるのです。
植物の持つアルカロイドのせいで、食べるのに支障があるのならば、動物の取り得る選択肢は2つしかありません。
1.その植物をあきらめて別の植物を食べる
2.アルカロイドを持っていても食べられるようになる
ウサギがアトロピンを分解できるのは、2番の選択肢によるものです。
1番の選択肢を取ろうとしても、食べやすい植物はいなくなり、やがて防衛策を持っている植物だけが残ります。
すると、植物の防衛策に対抗できない動物は、食べるものが無くなり、絶滅してしまいます。
結局、対抗できる動物だけが残り、また植物はそれに防衛策を発達させ・・、とその繰り返しで、植物と動物のいたちごっこが永遠に(どちらかが絶滅するまで)繰り返されます。
一方で、肉食動物にはアルカロイドを分解する酵素などはいりません。
彼らの獲物が植物でない以上、そういう毒物が体に入ってくる可能性はなく、分解酵素を手に入れさせる圧力は働かないからです。
だから、猫はアルカロイドを分解する能力を持っておらず、観葉植物などを食べると、しばしば中毒になってしまいます。
食べ物に関して、肉食動物に働く圧力は、獲物をうまく捕まえる圧力です。
食べられる側の動物は、肉食動物に食べられないよう、速く走ったり、防御力を高めたりと、食べられないための防衛策を講じていきます。
肉食動物は、その防衛策を乗り越えて捕食できるように、捕食能力を磨き上げていきます。
ウサギなどの草食動物は、植物からの防衛策への対抗と、肉食動物からの補食圧への対抗を同時に取らなければいけません。
草食動物も、のほほんとしているようで、なかなか大変です。
実際には、進化は長い歴史の積み重ねの上で起こるものなので目には見えないものですが、命というものはそれだけの、自己が変化していく能力を備えているということであり、考えれば考えるほど驚かされてしまいます。
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