信念の裏側に潜む狂気
僕達が自分たちやその行為に自信を持って生きていこうとするとき、
自らの生き方に対する確信
=
信念
は欠かせないものです。
信念を持つと言うことはひとつの価値観を心に築くということです。それは
自分の持つ世界観という地図の元で、目的地をはっきりと定め、どういうやり方でそこに向かっていくか
と言うことを心に強く刻みこむことです。それは
自分の行動に対する揺るぎない指針、道しるべ
です。
信念が正しいことに向かい、正しい方法で設定されていればそれはこの上なく力強いものになります。困難に出合ったときも、自分の目標がしっかりしていればそれを見失うことなく目標に向かって歩んでいくことができます。
信念を持つときに大切なこと、それは
自分の目標と生き方にどれだけ深く確信を持てるか
と言うことです。
問題なのは、信念の強さは
目標や方法の適正さとは比例しない
と言うことです。
信念が強いほど、迷うことも少なく生きていけます。しかし、その信念自体が間違ったものに向かっているならば、身の破滅、他の人への迷惑へとつながる可能性があります。
より整合性を持つ論理ほど受け入れやすく、真実だと認識されやすくなります。しかし
受け入れた論理が誤謬に基づいたものであると、目指すべきものも間違っているものに
なってしまいます。
心の地図を持つことは大切ですが、それを求めるとき、しばしば他人が確信に満ちた顔で示す世界観を受け入れ自分のものにしてしまう事があります。
他人の世界観を自分のものにすることは自分の地図を捨てる行為であり、思考の放棄
です。あくまで
自分の心の地図は自分の目で見たものを自分の頭で考える作業を通して築かれるべき
です。
信念を持てばいいというものではありません。信念を持つ前に、
それらを見極める力
、それが一番大切です。
他人が作った目標に向かって進んだとしても、はたして自分にとって本当に意味のある行為であるのか、それを見極める必要があります。
世の中に砂の数だけあるもののうち、自分にとって本当に大切なのはそのうちの一握りです。
目標に対する確信とそれを到達しつつある達成感は人に恍惚感を抱かせます。注意すべきは目標が間違っていたとしてもそれを得られることができると言うことです。
信念を持つと言うことは誤謬に対する信仰を持つと言うことと紙一重です。誤った世界観、誤った目標、それらを追い求めることを至上の事と見なしそれ以外を否定する時、その裏側にあるものは
狂気
です。
自分を越えた何かに自らを捧げることは人間の一つの理想だと思いますが、狂気に対して身を投じるのは良いことだとは思えません。
目標自体が間違っているのにそれを深く信じ遂行しようとするのは周囲にとっても迷惑な行為で
す。
特にその世界観が今の社会を否定し傷つけるものであるならば、危険であり、悲惨なことにつながる可能性があります。
いびつな世界観の元でのいびつな世界観からは好ましい未来は生まれません。
整合性だけなら詭弁でも持ち得ます。それが正しいかどうかを判断しうるものは
その目標が達成されることで社会がどうなるか
という結果予測です。
信念は重要です。それなしでは確信を持って判断し行動していくことはできません。
大切なのは
物事の本質を見抜く能力を養い、自分の頭で目標を設定する
ことです。
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