快楽と幸福


 快楽と幸福は生きる上で得られる報酬のようなものです。
 学習行動のない動物においては、その行動における本能の役割が大きくなります。知能が発達した動物では、
本能よりも学習行動によって自分の行動を決定する傾向が強くなるため、その行動が望ましいものかどうかを判断することが重要になります。

 
快楽とは行動の是非判断のためのものであり、好ましい行動に対して得られる感情です。
 食事をしておいしく感じられる、スポーツをして楽しく感じられる、性行為をする、これらは生の根幹に関わってくるものです。
 より生に直結するものであり、
知性と同時に本能に根ざすところの大きなものです。

 
幸福感は快楽が価値観などと結びついてもっと高度に昇華したもので、知性がこの状態は好ましい状態だと判断しているというものです。
 かみ砕いて言うなら、
自分がなすべき事をしている、あるべき状態にある、と言うことです。

 人にとって理想の状態は
自分の能力と適性を活かし、それが周囲にも喜ばれる状態です。それは、大きな視野で見れば人間が環境の中で社会という特異なものをつくり出し、それを維持・発展させることによって環境を生き抜いていくと言うことに一致しています。

 幸福感を感じる状態は
自分が人として本来その社会の中で行うべき事を行っているということです。
 なすべからざる事をしているとき、あるべき状態にないときには幸福感を感じることはありません。むしろ、不安感を感じます。それは
心が自分のすべき事はもっと他にあると言うことを示していると言うことです。

 快楽や幸福感は人にとって有意義なものではありますが、それ自体は人間の生きる目的そのものではありません。
 それはより良く生きているときに与えられるプレゼントのようなものであり、より良く生きるための指針にしうるものです。
 何を通じて幸福感を求めていくかそれ自体は個々の人が目標を定めて追い求めていくべきものですが、
本当のなすべき事は幸福感を得られるものの向こう側にあるものです。

 自分にふさわしい仕事をすることで充実感が得られます。でも、本当になすべき事は仕事自体ではなく、仕事を通じて社会をより良くしていくと言うことです。
 家庭をより円満にし皆が健康に過ごすことで幸福感が得られます。でも、家庭の意義は幸福感を求めることと言うよりは、社会構成の基礎となり、次世代をになう子孫を育てる場になるものです。

 真に求めるべきものは快楽や幸福感の向こう側にあるものです。
 自分が本当にやりたいことを見つけたならば、その途中で少しくらい苦しくてもそれは取るに足らないものであるはずです。その
苦難の後にはより大きな達成感や充実感が待ち受けているからです。
 また、自分を超えた大きなものに自身を捧げている状態の元では、自分とその対象が同一に感じられるため、たとえ自分に不利益でも、対象の発展により幸福感を味わうことができます。

 快楽や幸福感は目的そのものではありませんが、それ自体が心地よいものであるため、それ自体を追い求めることがよくあります。
 
社会自体の目指すものがはっきりとしていないときには、より大きな志のために自分を捧げるという意識が少なくなるため、個人的な快楽・幸福感の追求が広まる傾向にあると思われます。

 しかし、
なすべきものを含まない幸福の追求は手段が目的にすり替わったものです。中身のない薄っぺらな幸福感は信念や目的意識に支えられていないため不安定で揺らぎやすいものです。
 
自分にとって本当は何ら意味のないことであるのに快楽を得られるというものも世には溢れています快楽を求めることを至上とするならば、自分が自身をかけてやる遂げるべきものを見失ったり、時間や自分を浪費することにつながるかも知れません

 快楽や幸福感を求めることは悪いことではありません。ただ、物事のうわべに囚われず、自分のなすべき事、あるべき状態をまずしっかり把握し追い求めていくことが大切だと思います。


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