そのまま麻酔をかけてたらえらいことです


ある日、動物病院に一頭の猫を連れた飼い主さんがやって来ました。
どうしましたかと聞いてみると、

「体に毛玉がついて来たのでなんとかしてもらえませんか」

ということでした。

長毛の猫は、毛が長くもつれやすく、
気性が荒かったりすると、ブラッシングを嫌がりますので、
しばしば毛玉で体が覆われてしまいます。

一度つき始めた毛玉は、放っておいても小さくなる事はなく、
徐々に成長して、どんどんがちがちになって行ってしまいます。

気性の激しい猫だと、触ろうとするとそれだけで攻撃して来ますので、
毛玉をとるためには、麻酔をかけて眠らせた後でバリカンをかけるしかありません。

僕の病院でも、時折猫の毛玉とり処置は行っており、
だいたいは小型バリカンなどで簡単に取れるのですが、
激しい性格の場合には、やはり麻酔をかけないとできません。

ともかく、どんな状態なのかを見て見ないといけませんので、
まずは診察室で診せてもらう事にしました。

診察室に飼い主さんが入って来るなり、

「暴れるかもしれませんのでご注意ください。」

とのことです。
どんな凶暴なのかと冷や冷やしながらケージを覗き込むと、
案外とろんとした目をしている猫のようです。

怒る猫だと、いかにも不機嫌そうな表情だったり、
中には親の敵にあったかのように、
目が合うなりこちらを威嚇して来ることもあるですが、
今回はそういう気配が感じられません。

飼い主さんがケージを縦向きにすると、
するするとチンチラさんは診察台に落ちて来てくれました。
台の上に降りた状態でもう一度僕と目が合いましたが、
やはりそれほど興奮状態ではないようです。

「あれ、前の病院ではもっと興奮してたけど、
 今日はずいぶんおとなしいねぇ。」

年齢を確認すると、もう10才過ぎの高齢のようです。
毛玉がごっそり出来る子だと、何度も繰り返している事も多いので、
今までどうだったのかと尋ねてみると、
毛玉がたまり始めたのはつい最近の話のようです。

それまでは定期的にブラッシングをさせてくれていたのだけれど、
最近は高いところでじっとしている事が多く、
ブラッシングをしようとすると逃げるようになった、
ということだそうです。

どうやら、昔から凶暴で毛玉ができてどうしようもなかった、
ということではなさそうです。

とりあえず毛玉がどんなものかと確認してみる事にしました。
興奮してはいないようですが、一応、
手を触れると豹変、という可能性もありますので、
触る時には注意しなければいけません。

おりこうさんだねぇと、猫をあやしながら背中を触ってみると、
特に怒る様子もなく、じっとしてくれています。

「あれ、今日はやけにおとなしいね。
 先生のことが気に入ってるのかな。」

飼い主さんがポジティブなことを言ってくれていますが、
獣医師としては、自分の事を気に入ってくれているからだ、
などと楽天的に考えるわけにはいきません。

触ってみると、たしかに背中一体が毛玉で覆われていますが、
体がもこもこして見える割には、体自体はかなり痩せているようです。

体重を量ってみると、飼い主さん曰く、
元の体重よりも1割ほど減っているということです。

飼い主さんは、麻酔をかけて毛刈りをしてもらう事を希望して病院に来ていたようですが、
このまますぐに麻酔をかけるかという事に関しては、
僕の中のセンサーが危険反応を示しています。

あまりに凶暴で血液検査も出来ないような場合は、
麻酔前検査も出来ませんので、
そのまま箱に放り込んでガス麻酔をかける可能性もあるのですが、
そういう感じではなさそうなので、まずは血液検査をして、
全身状態を調べた方が良さそうです。

看護婦さんに手伝ってもらいながら採血しても、
特に怒るでもなく、抵抗もしない様子です。
すんなりさせてくれたので、ありがとうねと頭をなでてみても、
怒らないと言うよりは、あまり無関心という様子でした。

そして血液検査で出て来たのは、
比較的重度の「腎不全」という結果でした。

振り切るまでは至っていませんでしたが、
かなり高く、脱水と貧血を同時に起こしているようです。

最近あまり元気がなく、毛並みも悪い状態だったのは、
どうやら腎不全のせいだったようです。

腎不全で毛玉が出来るかというと、直接的な関係はないのでしょうけれども、
ブラッシングをさせなくなって毛玉に繋がった事の要因としては、
十分に考えられます。

飼い主さんに結果を伝えると、
思ってもいない結果にかなり衝撃を受けたようで、
今まで気づかなかった事に後悔、という様子でした。

とはいえ、腎不全はかなり腎臓の機能低下が起こらないと症状が出てこないものなので、
気づかなかったこと自体は仕方のない事ではあります。

今のところは、尿毒症で倒れているという状態でもありませんので、
飼い主さんとの話し合いの結果、しばらく皮下注射を続けながら、
様子を見て行く事にしました。

とここで、最初の依頼が背中の毛玉であった事に気づきました。
皮下注射は通常背中に行いますが、
毛玉のせいで皮膚が見えなければ皮下注射も出来ません。

触ってみると、背中は一面毛玉で覆われていて、
皮下注射を行うのも難しそうです。

「皮下注射をするために背中の毛を刈らせてもらいましょうか。」

と尋ねてみると、

「全身刈ってもらおうと思っていましたので、ばっさりやっちゃって下さい。」

とのことです。
バリカンを嫌がらないか心配ではありましたが、
小型バリカンを背中に入れて行くも、案外怒りもせずに受け入れてくれました。

振動が嫌な様子で、少し迷惑そうな表情をしながら腰をくねらせるくらいでしたが、
なんとか背中の皮下注射をする範囲を、長方形にカットする事が出来ました。

背中だけ長方形にはげが出来たのもなんとも変なカットではありますが、
知らない獣医師が見たら、椎間板の手術でもしたのかと言われそうな具合ではあります。

あまり長くカットしているとストレスもかかりそうだったので、
今日はこれで止めておき、また続きは少しずつする事にしました。
注射も通ってもらう事になりましたが、
ちょっとずつカットして行けば、麻酔もせずに出来そうな気配です。

「おこりんぼな長毛種の猫は、毛玉が出来やすい」というのは、
よく知られている事であり、
今回も飼い主さんに、最初から麻酔とバリカン処置を指定で依頼されたのですが、
かといって、何も疑わずに依頼された通りにしていると、
えらいことになる可能性があったりもします。

臨床で大切なことのひとつは、何かがおかしい時に、
それを感じ取る能力だと思います。

今回は、何も考えずに麻酔をかけるということを回避する事ができ、
調子の悪い猫によけいな負担をかけずにすみました。

医療と言うのは、注意していないと、
怖い事になる可能性のあるものですので、
いつも、何かあるかもしれない、と心に留めながら、
注意して仕事をして行きたいと思います。


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