医者はなぜ患者を治療するのか
人の医者は、ヒューマニズムの精神に乗っ取って、人の命を高い価値を持つものとして仕事をしていれば、考え方として矛盾は感じにくいと思います。
すなわち、ヒューマニズム精神に乗っ取って「価値の高いものを守ることは、それだけ価値あることだ」と信じるということです。
ヒューマニズムは「
人間の命はこの世において何よりも尊い
」と自ら宣言するものです。
しかし、人の命は何より尊いと言われると、獣医師としては、「
自分達は医師と比べて“より価値の低い”命を救うために仕事をしているのか?
」という疑問を感じます。
命に価値の高い、低いを判断しようとするのは人間の傲慢
だと思います。
命は命として、人間の価値観と関わりのないところで誕生し、自分達なりに精一杯生きている
のであって、
人間がどう思おうとそんなこととは関係なく生きている
のです。
その命に対して「これは価値の高い命で、あれは価値の低い命で・・」と、人間が自分達の価値観で「命への価値づけ」をすることができると考えるのは思い上がりです。
かといって、全ての命が価値の高いもの、と言うのも僕はおかしいと思います。
命の存在は人間の価値観とはまるで関係なく存在するものであり、人を超えたものに人の価値観を適用して判断しようとすること自体が間違い
だと思うからです。人の価値観は人だけのものです。
「命を大切にしたい」と感じることは傲慢ではありませんが、「命は大切だ」と断定することは人の価値観を過信することであり、傲慢さが混じっています。
命に価値づけをすることなく命に向かい合える考え方
が模索されるべきでないかと思います。
「相手に価値があるから」でなく治療するとなると、医者はどういう心の姿勢で臨めばいいのでしょうか。
ヒューマニズムに替わる命への捉え方として、僕は「生への願望」尊重と、人間性尊重で望む方が良いと思います(「
ヒューマニズムから人間性尊重主義へ
」)。
患者さんや家族の人は、「
生きていたい
」という願いや「
愛するものに生きて欲しい
」という「
生への願望
」を持っています。
医者が命を救おうとするのは「価値あるから助けなくてはいけない」という義務からのものではなく、
「生」への願いに答えるために、その願いを叶えるために
治療をするべきではないかと思います。
また、命を救おうとするとき、
医者から相手に託されるのは「元気になって精一杯生きて欲しい」という「生への願望」
です。
そして同時に、医者が精一杯に治療をするのは、
自分自身の持つやさしさや思いやりといった人間性を大切にする
行為でもあります。
医者の誠実さは、相手の願いを大切にするためと同時に、自分自身を大切にするためでもあるのです。
そう考えれば、相手が人間であれ動物であれ何ら変わりはありません。
実際にはその人によって、どう思って医療に望むかは異なってくると思いますが、僕自身は
「治して欲しい」という心に対して、「治してあげたい」と思う心で答える
医師でありたいと思っています。
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