「命の大切さ」はどこにある


「命はどうして大切なんですか?」
とたずねられた時、その質問にどう答えるかは人それぞれだと思います。

宗教的な理由を挙げる人もいれば、
命のはかなさを理由にする人もいるでしょうし、
生命の長い歴史を理由にする人や、
命を持つものの特別さ、希少さを述べる人もいると思います。

その理由は人によってそれぞれだと思います。

今は「命の大切さ」ということが改めて問い直されている時代ですが、
それはなぜかと言えば、従来信じられて来た宗教的、社会的な倫理観が薄れ、
個人の考え方が多様化する中で、
万人に受け入れられる理屈というのが見当たらなくなっているからだと思います。

だから、神を信じない人には
「神から与えられた大切な命」という考え方は通用しませんし、
ある人にとって共感できる考え方でも、
違う人にとってはまるで共感できないような事になったりします。

「命の大切さ」という価値観が踏みにじられるような事件が起こる一方で、
大人達はこれではいけないと、
「なんとかして子どもたちに命の大切さを教えよう」
と慌てている様な様子でもあります。

でも僕は、「命の大切さ」というのは、
人に教えられる様なものではないと思っています。

教える事ができるものではないと同時に、
「大切さを知る」というようなものでもないと思います。

誤解を恐れずに、あえて言えば、
「命の大切さを知っていますか?」
という質問をされたら、僕としての答えは、
「"命の大切さ"というものは知らない」
という答えになります。

なぜなら、命の大切さは、"知識として知る"ようなものではなく、
大切なものとして"自分の心で感じる"というものであると思っているからです。

したがって、先の質問は、
「命を大切に思っていますか?」
と問いなおされるならば、
「命を大切に思っています」
という答えになります。

今は、"命が特別に持っている大切な価値"という考え方を元に、
「命は大切なんだから、大切に扱え」
という考え方を子どもたちに押し付けようとしています。

でも、僕はそうではないと思います。
これまた誤解を恐れずに言えば、
命が大切なものであるかどうかなど、人間に分かるはずがありません。

もし人間自らが、
「命を持つが故に自分達は価値あるものだ」
と主張するのであれば、
それは命あるものがおごり高ぶって口にした、傲慢な言葉なのだと思います。

傲慢さを取り払って、嘘なく、無理なく、等身大の言葉で述べるなら、

「僕たちは命を大切に思っている。
 その命を大切に思う気持ち故に、僕たちは命を大切にしたい。」

としか言えないと思います。

したがって、命の大切さがどこにあるのかと問われれば、それは、
命の中にあるのではなく、命と向き合う人の心の中にある
のだと思います。

目の前にある命が「大切で価値があるものなのかどうか」ではなく、
生まれ持った命のかたちを持って、それぞれ懸命に生きている命に対して、
人としてどう感じ、どう向き合うか、という問題なのだと思います。

命を大切にするという事は、
人が持つ、命を大切にしたいと願う、人としての心を大切にする行為です。

命を大切に思いもせず、命を粗末に扱うということは、
"命の大切さを知らない"のではなく、
「人としての大切な心を持っていない」
ということです。

子どもたちに「命の大切さを教える」ということは、
"命の特別さを知らしめる"様なものなのではなく、
「命を大切に感じ、扱う、人としての心を育む」事なのだと思います。


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