動物園は何を伝えるか


 動物園に行くのが楽しみであるという人もたくさんいると思います。
 動物園には、楽しそうなこども達の笑顔や、こども達の喜ぶ様子にうれしそうなお父さんお母さんの笑顔がたくさんあります。
 今回は、そんな、動物園についてのコラムです。

 動物園にはいろんな動物がいます。そして、かわいい動物を見て、お父さん、お母さんは子供に「ほら、みてごらん、かわいいでしょ」と言います。
 それ自体は、別に悪いことではありません。しかし、一方で、動物園という存在にとって、それが全てではいけないと思います。

 最初の動物園は、
海外に植民地を持つ国の王侯貴族が、現地の変わった(ヨーロッパ人が初めて目にする)動物を持ち帰り、コレクションとして飼い始めたのがその始めと言われています。

 時代は移り、現代では一般市民の誰もが、動物園に行けば、いろんな動物を見ることができます。

 動物を見て、「かわいいね」「きれいだね」「面白いね」と人間が感じ、それで心が癒されるのは、それはそれで悪いことではありませんが、
動物の持つ外見や習性は、人間に評価されるために動物が備えているわけではありません
 その動物が、
人間に評価されるだけの特性をたまたま持っているがために、人間は、その動物を見て、かわいいだの、きれいだの、面白いだのと、自分達の価値観をその動物たちに当てはめ、評価しているだけなのです。
 人間にとってかわいいと感じられないからといって、その種は価値が低い、などとは言うことはできません。あくまでも、人間の感想は、人間にとっての価値観でしかないのです。

 動物園にとっては、来園者数を増やすため、お客さんに喜んでもらうために、そういう動物の特性をアピールしていくことは、ひとつの戦略ではあります。
 ちまたでは、面白い風貌や行動をする動物がいると、マスコミも喜んでそれを流し、ブームをつくります。
 でも、そんなことは、動物園が、本当に社会の人たちに伝えていくべきようなことではない気がします。

 動物園が社会の人々に伝えていくべきこと、それは動物園の存在意義とも言えることですが、実際には人によって答えが違ってくるかとは思います。

 それでもあえて、僕が、独断と偏見で動物園の存在意義と考えることを言わせてもらえば、「
世界には、人間以外にもいろんな動物がいる。それぞれの動物は、それぞれの環境で、それぞれ精一杯生きている」ということを伝える、その一点に尽きると思います。

 
それぞれの命は、それぞれの環境に合わせて適応し、それぞれの生を送っています。都市の中で暮らす人間は、人間も、地球上に数多く存在する生命の中のひとつであるという、当たり前のことを意識せずに暮らしています。
 動物園に行くことは、人間以外の動物が世界中には数多く存在し、いろんなかたちや仕組みを持って生きている動物がたくさんいるということを実際に学ぶことができます。
 実際に、その動物の動くところや、仕草を見ることができ、その命に直に触れ合うことができます。

 かわいいだの、きれいだの、面白いだのといったことは、それ自体は人間が、他の動物に対して勝手につけた評価を言っていることです。それは命の本質を見ているのではなく、
動物のうわべだけを見て、そこから出ている言葉です。
 命を見て、かわいい云々ということを言ったとしても、それは
その動物の持つ特性を見ているだけであって、本当に動物そのものを見ているわけではありません

 自分の感情を満たすための娯楽の場として、動物園が存在するのではいけないと思います。
 「
命に触れ合う」ということは、動物園でできる、意味のあることだと思います。

 昔と比べ、動物園も少しずつ、
環境そのものを見せるという「環境展示」に変わってきていますが、まだ、コンクリートと鉄格子に囲まれて、動物がそこで何をするでもなくたたずんでいるだけというところも多々あります。

 
動物に対して、人間は好き勝手をする権利を持っているわけではありません。動物を集め、そこで展示できるようになっていること自体は、人間がそこまでの力を身につけてしまったということの結果のものです。

 そして、
集めた動物をどう暮らさせ、人間がそこから何を学んでいくか、それは人間の心の問題であり、人間性が問われることなのだと思います。

 動物園の存在の賛否は、いろいろと議論されるところではあります。どちらにせよ、自分達の良心が痛まないように気をつけながら行動していきたいものです。


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