アライグマはアニメの「ラスカル」によって人気が出た、北米産の動物です。かわいい顔をしていますが、気性は激しく、ペットとして飼い始めて成獣になると手に負えなくなる例が多く見られます。
ラスカルという言葉は“ならず者”という意味です。ラスカルを飼っていたスターリング少年も、小説では最後は手に負えなくなって森に帰します。
欧米では、自分の手に負えなくなったときには自分の責任で処分をしますが、日本人は情緒的あるいは無責任であり、野に放つ人がしばしばでした。
かわいいかわいいだけのうちは問題視する人は少なかったのですが、日本で繁殖し始めると、糞や騒音、直接危害などの被害がしばしば報告されるようになり、また日本在来のタヌキなどと競合し始めると、日本固有の生態系への影響が危惧されるようになってきました。
アライグマは雑食性で繁殖力が強く、純粋な野生のときには春に一度だけの繁殖ですが、町の周辺で豊富な栄養の元では秋にも繁殖が可能となり、旺盛な繁殖能力を持ちます。
最初は物珍しい存在でしたが、今では動物園にもどこにも引き取り手はなく、人間社会の中でいわば“やっかいもの”として見られるようになっています。
2005年には、特定移入動物として、積極的駆除の対象に指定される見通しです。それは「見つけしだい捕獲して殺す」ということを意味しています。
獣医師はその駆除に協力を求められる存在として見られています。薬殺のための手段を持っているからという理由です。
しかし、行政に請われたからといって「はい、そうですか」と思慮無く薬殺に協力をしたくもありません。「悪い動物だから」と言われて納得し、殺すことに協力するのは、あまりに短絡的すぎます。
まず、何が問題なのか、現実問題としてどういう選択肢が考えられるのか、そのあたりを考えなければなりません。
現段階では、アライグマを殺すことは害獣としてなのか、生態系の保護としてなのか、論点が入り交じっているのが現状です。
まず、論点を整理して議論しなければならないと思います。
害獣として、人間の被害を減少させるためにアライグマを殺すということについては、ある程度やむを得ないと思います。人間社会にとって、市民の生命と財産を守ることは当然と言えば当然であるからです。
ただ、「アライグマが悪い動物だから殺すのだ」というような論調で、人間が自分達の行為を正当化させようとしていることは看過することができません。
何より悪いのは、生物としての理解もせずに、輸入をし、飼育し、逃がした人間です。
アライグマを害獣として考えようとするとき、そこには「アライグマは加害者で、人間は被害者」という論理が見えます。
それは間違いです。
本当は、「人間こそが加害者で、アライグマこそが被害者」なのです。
包み隠さず、自分達を正当化せずに、率直にそう述べなければなりません。
殺すとしても、人間はアライグマに謝罪しながら殺さなければなりません。汚名をアライグマにきせ、自分達の正当な行為として殺そうとするのは、人間自身の良心と理性を踏みにじる行為です。
害獣という言葉自体も、もとをただせば、人間が自分達の都合によって、人間の存在と関係なく生きている命に対して勝手に付けた、自己中心的な呼び方です。
また、生態系の問題として考えるならば、これだけアライグマが自然で繁殖し始めた以上、完全に根絶させるのはおそらく不可能です。
アライグマは、リョコウバトやカロライナインコを意図せずして絶滅させたアメリカ大陸の移入者たちが、最初から駆除を目指して殺していたにもかかわらず、絶滅させることのできなかった動物です。
日本人に絶滅させることは、おそらく無理です。
考え得る選択肢としては、
1.タヌキなどの在来の動物への影響を最小限にくい止めるべく半永久的にアライグマを殺し続ける
これは駆逐ではなく、数のコントロールが最終的な目標となります。もしくは、
2.アライグマを殺すことをあきらめ、在来の動物の生態系が乱されるのを受容した上で、行き着くところまで行き着くのを見守る
というのが最終的な候補になるのではないかと思います。3番目としてくる「移入種を根絶してもとの生態系を完全に取り戻す」というのは実現性としては懐疑的だと言わざるを得ません。根絶が難しいということ以外に、一度壊れた生態系は完全にもとの状態に戻ることはないからです。
費用を度外視して、人間の良心を大切にしつつ、生態系への影響を減らす努力をするなら「捕獲した後、避妊手術して野に帰す」という方法もありますが、これは人間に対する被害を軽減させる効果はありません。
もちろん、僕だって日本固有の生態系が壊れ、見慣れた自然の姿が少しずつ形を変えていくのを見るのは嫌です。
本当は、こんな事になる前に手を打たなければならなかったのです。手遅れになってから自分達にできる方法は、もはや最善の選択肢ではなく、より“マシ”な選択肢でしかありません。
少なくとも、これ以上の移入動物の増加をくい止めるためには、ペットにする目的を含め、無分別な動物の移入をまず止める必要があります。
そして、移入動物になる可能性のある動物に関しては、行政がその飼育状況を把握すべきです。「知らない間に野に放していた」ではまさに野放しです。
そして、市民の側も「好奇心だけでよく分からない動物を飼育しようと思わない」ことが必要です。無思慮な行動のひとつひとつが、重大な結果につながりうるということを認識しないといけません。
人間に動物を飼う権利があるなどと考えてはいけません。動物を飼うということは、市民としての当然の権利ではなく、結果に対する責任を伴う行為です。最後まで責任を持てないかも知れないなら、「飼ってはいけない」のです。
話をアライグマに戻せば、どれが僕達にとってより受け入れ得る選択肢であるのかについて結論を出すのは正直難しいと思います。
考慮すべき点を大ざっぱに述べるなら、
1.人間の生命・財産への被害
2.自分達の良心
3.生態系への影響
が、その最たるものになると思います。
生態系への影響は、突き詰めると自分達の生活環境に対する影響、という問題と、それを見て自分達が感じる良心の呵責、という二つの問題に帰結します。
根絶を目指した行為の行き着く先はおそらく、膨大な費用の恒常化と、それでも駆逐できない事への人間側の敗北感と、さらに重要なのが「命の大切さ」という言葉の信憑性の低下です。
僕達獣医師の社会的使命のひとつは、
「動物とのふれあいを通じて、命の大切さをこども達に感じ取っていってもらう」
ということです。
地域によっては、小動物開業獣医師を薬殺の指定獣医師にしようとしているところもあります。うちの地域もそうです。
裏で動物を殺しながら、表で動物愛護を説くことは一歩間違えば欺瞞とも言える行為です。
生態系云々としてよりも、生命倫理として破綻しています。
では増えたアライグマをどうすればいいのかという事については、僕にも結論はなかなか出せませんが、個人的には
1.害獣として殺すのはある程度やむを得ない
一方で、
2.生態系を守るためという名目で殺すのは反対
というところです。生態系のためと言って恒久的に殺し続けることについてはデメリットが大きすぎます。
最大のデメリットは、先ほど述べたように、社会の倫理観のより一層の低下です。
凶悪事件がこれだけ増えてきた中で、「命の大切さ」を語りながら、裏で自分達の身勝手さによって命を奪う行為を行っていては、どうやってこども達に「命の大切さ」を説いたとしても、空虚な話にしか聞こえません。
殺すにしろ、裏でこそこそ殺すのでなく、人間の浅はかな行為が引き起こした結果として、市民の目に直接見えるようにするべきです。
アライグマを殺すことは、社会に暮らす一人ひとりが荷担している行為です。人の目に触れないようにして殺しながら、一般市民は「ああ、かわいそうに」と思って終わりでは、第二、第三のアライグマは必ず生まれます。
「社会に暮らす自分達ひとりひとりの問題なのだ」、そうみんなが認識しないことにはどうしようもありません。
認知度が低いだけで、ハブを殺すために移入されアマミノクロウサギを殺し始めたマングース、授粉を助けるために移入され野生化して在来のハチや植物相への影響を危惧されているセイヨウオオマルハナバチなど、例を挙げれば数多くあります。
いずれも人間が自分達の都合のために行った結果が、自分達の首を絞めるようになったものであり、人間社会のあり方を根っこから問い直すべきものです。
アライグマを殺すことになったのは、社会全体の問題です。
行政が決定し、獣医師が執行して終わりというのではなく、人間社会が持つ病理として、社会全体で議論すべき問題です。
ごまかしながら欺瞞を語るのではなく、自分達の良心に反しない生き様の問題として、アライグマ問題を考え直さなければなりません。
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